手作り=完成度が低くて良いという考えは利己的な思考に基づいており、手作りの本質を正しく理解できていないという事です
ごきげんよう、こんにちは、こんばんは、内藤正風です。
今日は朝から本部いけばな教室でお稽古を行なっているのですが、その空いた時間に昨日のブログを読み返しながら「これは誤解をする人があるかもしれない」と思ったので、今日は少し補足のブログを書きたいと思います。
手作りとグダグダは違う
昨日のブログでは「手作り」の魅力や価値という事についてかきました。これ読み返しながら思ったのです。「手作り=グダグダでもOK」と意味をはき違える方が出てきかねないなぁと。
例えば手作りの代表的なモノって、家庭料理を挙げることができると思います。そこでこの家庭料理ですが、仮にハンバーグで考えてみたいと思うのですが、お家で作られたハンバーグが塊にならずグチャグチャ状態だったらどうでしょう。わぁ~いいなぁ~!ってなるでしょうか。あるいは塩の代わりに砂糖が使われていたり、明らかに変な味付けがされていたらどうでしょう。わぁ~いいなぁ~!ってなるでしょうか。
つまり「手作り=グダグダでもよい」という事ではないという事をお分かりいただくことができると思います。
手作りを理由にして完成度が低いのは、単なる自己中な考え方です
私は手作りには、その完成度が一定のレベルに達しているという事が不可欠だと思っています。とはいえ、子供が初めて手作りでおにぎりを作ったというような場合は別ですよ。
私が言っているのは家族だけで楽しむとかっていうくくりではなく、お友達を招いてホームパーティーをするというような手作りのイベントのように、どなたかが関わってこられるような場合に「手作りだからグダグダでもよい」という考え方は自己中心的なものにほかならず、そういう意味においての手作りというのはよろしくないと思うのです。
だって本来ちゃんとしておかないといけない事を、手作りを理由や言い訳にして自らハードルを下げ、それはつまり逃げているだけなのですから。
「手作り」の魅力や価値をちゃんと引き出すために必要な事
私が思う手作りは、手間暇をかけていたり心がこもっているという意味であって、完成度が低いという事ではありません。
特に、誰かに対して失礼になるとか、誰かが気を悪くする、あるいは信頼を失うというようなことが可能性としてあるような場合には「手作り」という問題ではなく、その人の取り組む姿勢や考え方、そして相手に対する敬意に関わる問題になってくると思うのです。
手作りだからこそ、その人の思考や姿勢が相手の方にハッキリと感じ取られるものになると思います。手作りだから完成度が低くていいとか、適当でいいとか、行き当たりばったりでいいとか、そんなことを思うのは利己以外の何物でもなく大きな間違いだと思うのです。
「手作り」の魅力や価値をちゃんと引き出すためには、そのあたりの意識をしっかりと持つことこそが一番大切な事だと思います。
内藤正風PROFILE
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平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。
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