”こうでならなければならない”という思い込みは、自分自身の視野を狭くし思考を停止させてしまいます

こんにちは。内藤正風です。

今日は今年最後の教室をおこないました。教室修め、お稽古納めです。が、仕事納めでは全然ありません。。
毎年のこととはいえ、色〜んな事が全く納まっていないのですから(笑)(笑)

ちなみに今日の教室ではこんな感じに生けて頂きお稽古を行いました。

 

これ一般には「盛花」としてご用意させて頂いている材料なんですが、今日の生徒さんはかなりの上級者なので「生花」としてお稽古していただきました。
生けながら生徒さんも「え〜、そんな事できるんですかー!」って驚かれていました。

ええ、こんな事も出来るんです!!
ってか、そもそも”こうでなければならない”なんて存在しないんです。

"こうでなければならない"なんて存在しない

お正月のお花というと、お花をしている人は、若松、オモト、そして松や南天や梅や竹を使った華やかなお花などを連想される方も多いことと思います。
たしかに間違いではない。しかし正しくもないと思います。

こういうお花って、和室があり床の間があり玄関にはお花を飾る設えがある環境の中で定まららてきたものです。
なのにこれをそのまま今に当てはめて、これでなければならないって言うことって危険だと思うのです。

住宅環境は変わっているのに、いつまで床の間や和室ありきの考え方をしているのですか?

今や、和室の無いお家が増えています。床の間もありません。あっても開かずの間に成り果てていたりします。玄関にお花を飾るスペースなんてありません。なんならウォークインになっていて下駄箱すら見える場所には無かったりします。

そんな中で、若松は床に、玄関には必ず水盤にお花を生けてなんて言われても無理ですよね。
そうです、決めつけることが不自由を生み出しているのです。

”100” か ”0” か、"白"か"黒"か、以外が有って良い

若松には水引を掛けなければならない。。。なんて思わなくていいのです。

若松を伝承の生け方にするならば、古来よりの約束事を守って生ければいいんです。
しかしご家族が亡くなられて1年以内だったらどうされます?
喪中なので松は生けてはいけない?

??
誰がそんな事決めたのですか?松はダメ??仏壇のお花を年末に買いに行ったら、松の小枝が入っていますよ。(笑)

確かに「水引」が使われていたら"おめでたさ満載"になっちゃいます。だったら水引を外して生けたら良いんじゃないんですか?

色とりどりのお花を使ってはいけない?

??
誰がそんな事決めたのですか?

確かに赤や黄色などが使われていて華やか〜になっていたらなんか嬉しそうな雰囲気で具合悪いなーって事はあるでしょう。
だったら赤色外して、彩りを考えられたらいいでしょう。あるいは白一色の取り合わせなんかもシンプルだけど綺麗ですよ。

出来ることを考えていけばいい

「こうでなければならない」とか、「100か0か、白か黒か」なんて思うから、面白くなくなっちゃうのです。自分の視野が狭くなっちゃうのです。思考が停止しちゃうのです。
そしてなによりも自分自身が面白くなくなっちゃうのです。

白や黒だけではなく、限りなく白に近いグレーもオッケーなんです。限りなく黒に近いグレーもオッケーなんです。

こうでなければならないと思うのではなく、いま何が出来るのかと言う、出来ることを考えればいいのです。
大きなことでなくていいのです。どんなに小さくてもいいんです。いま出来ることを積み重ねていけば、可能性や楽しみはどんどん広がっていくのですから。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。