「四季」は色んな国にもあるのに、なぜ日本人は「日本には四季がある」と誇りにするのか

こんにちは。内藤正風です。

今日8月7日は「立秋(りっしゅう)」です。
「立秋」とは”秋の気配が立ち始める日”として、暦の上では今日から「秋」ということになります。
けれどこれはあくまでも暦の上で「秋」と言うだけの事なので、これから涼しくなるという事ではなく、暑さの本番は今からのシーズンなんですけれどね(笑)

しかし暦の上で「秋」という事になるので、今日からはお手紙を書く時の時候の挨拶は”残暑の候”となりますし、暑中見舞いではなく”残暑見舞い”となります。

秋の気配を探す贅沢

私はこれからの時期は、一足早い秋の気配を見つけるのが凄く贅沢だなーと思っています。

例えば朝早く起きると朝の空気に秋の匂いがしたり、夕刻の空の雲に秋の気配が漂っていたりという何でもないようなちょっとしたことなんですが、そういう兆しを感じる事が出来ると、何かすごく得した様な気分になったり豊かな気持ちになれるのです。

「四季」は日本以外の国にもある

日本には四季があります。って言っても日本と同じ緯度にある地域には全て四季があるので、四季が特別に珍しいものではありません。
同じ緯度に有れば、アメリカにも中国にも韓国にもヨーロッパにも四季はあるのです。

そんな中でなぜ日本人は老いも若きも日本の特長として「日本には四季がある」というのでしょうか。
私は日本人が四季の中で農耕を営み、お祭りや歳時などをおこなってきたという事が、大きな原因としてあると思っています。

四季の中で日々の営みをおこなってきた日本人

日本の文化は全てが四季と密接に結びついています。
例えば春のお祭りは収穫を祈願するようなモノが多く、夏のお祭りは暑さに負けない様に無病息災や厄除けを、秋のお祭りは収穫祭的な位置づけのものが多いです。
四季によって旬の食べ物を楽しみ、四季によって咲く花が変わるのを愛でるというように、季節が生活の中の一部として完全に文化として確立されているのです。

日本人が四季を誇りにする理由

日本人は八百万(やおよろず)の考え方により国が作られてきました。すなわち全てのものに精霊が宿るという考え方です。
そんな日本人だからこそ、花が咲いたり木々が芽吹いたり紅葉したり、鳥のさえずりや雪や雨、雷までも身近な存在として捉えたのだと思います。
すなわち日本の四季は、日本人の豊かな感性が文化として昇華させ、世界に例を見ないものになったのだと思います。

せっかく日本人に生まれ日本に住んでいるのですから、もっともっと日本の四季を意識すると共に楽しまないと勿体ないと思います。

これからもまだまだ毎日暑い日が続きますが、チョットした季節の移り変わりの兆しを意識し感じてみませんか。日常が、人生が、楽しめるものになると思いますよ!

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。