人と違う部分にこそ価値があります。他の人に無い特徴だからこそ長所に出来るのです。人と違う部分にこそ誇りを持ちましょう!

こんばんは。内藤正風です。

今日の教室も、とても楽しい時間でした。
ツボに入って涙が出るくらい爆笑しながらのお稽古でした。それも、日本語を喋る事がホボできない中国人と、中国語をホボ喋る事が出来ない日本人とで、会話しながらの大爆笑なんですからーーー(大笑)。

泣かしてるんじゃないですよ~(笑)ツボにはまって笑いが止まらなくなっちゃいましたーー!

個性は、なぜ時と場合によって「良」や「否」と判断が変わるのか

「いけばな」をしていると、個性という事について考える機会が多いです。

例えば「いけばなの作品」で個性を考えると、その作品を生けた方の人となりや特徴の表れている部分にこそ、面白さや魅力を感じるます。
なんなら人と違っていればいるほど、個性的であるとか面白いという評価がされたりします。
これは他の人と違うという事を「良」としている考え方ですね。

かたや服装やメイクや髪形などで、周囲とちょっと違う事をしているだけで、あの人はどうだとか、おかしいとか言う人が多かったりしますよね。
これは他の人と違うという事を「否」としている考え方ですよね。

人と違っているという事をあるときには「良」としたり、またあるときには「否」としたりと何故こんなことが起こるのか、ず~っと不思議でならなかったのですが、30代後半くらいになって”あぁ~~!”って気付く機会がありました。
結論から言うと、これは判断した人の経験や能力に基づいた「自信」の大きさによって”良”と”否”を決めているだけなんですよね。

経験豊富な人ほど許容範囲は広く、未熟な人ほど自分の理解を超えたものに対して否定的な判断を下す場合が多い

先の項目で”いけばなの作品は、その人となりや特徴の現れた作品にこそ面白さや魅力が備わり、これは人と違うという事を「良」としている観点である”と書きました。
しかしこれって実は、万人が同じ判断をするのではありません。”え~、何この訳わからん作品。。”って言われる方もあります。
この「何この訳わからん作品」ってところが大切なポイントなんですよね。多くの場合に人は、未熟だからダメな作品とは言わないんです。ではなぜ「否」という結論を出すのかというと、その見る人が自らの経験や能力をはるかに超越していて判断できない場合に、多くの人は「否」の結論を出そうとする事が多いのだと思います。

そうなんです。作品を作った人の未熟さではなく、判断している人の未熟さこそが一番のポイントになっているのです。

時代の移り変りの中でも、判断は全く変わってきます。

”いけばな”ではないですが、例えば岡本太郎さんの代表作「太陽の塔」。発表された当時は、世の中から凄いバッシングと言うか反対の意見を言う人も多かったです。けれど今、あの太陽の塔をごらんになられて皆さんどう思われますか?
若い方から年配の方まで男女も関係なく、普通に良い作品と言うか面白い作品としてご覧になられていますよね。

服装で例を挙げると、幕末の志士の1人である坂本竜馬さんは着物姿にブーツを履かれていたのは有名ですよね。今、街で同じ出で立ちの人を見かけたら、「へぇ~。」って思ってそれで終わりでしょうが、当時の人達からすると「ギョッ!!」とするような姿だったんだろうと思うのです。

この様にして考えていくと「良」と「否」を判断する基準って、時代の移り変りも含めた見る人の経験や能力に基づいた「自信」と言うか「懐」と言うか、「器」の大きさによって判断されている場合が大半の様に思います。

人と違うという事にこそ価値があるし、それこそが長所になりうるところでもあります

自分の「器」が大きければ、自分と違う価値観や人や物を受け入れたり認めたりする事が出来るのですが、「器」の小さい人は、自分と違う価値観や人や物を受け入れたり認めたりする度量と言うか許容範囲が備わっていないので、相手を「否」し排除する事でしか自分自身を確立する事が出来ないのだと思います。

人間は一人一人全員が違います。姿、価値観、好み、何から何までが違うのです。
親子兄弟であっても違います。
違いがあるという事にこそ、価値があるのです。
だからこそ存在している意味や意義があるのです。

自分に備わった人と違う点に誇りを持てない人は、相手に対して自分と違うところをことさら声高に指摘し攻撃しようとします。
これは単にその人が自分の許容範囲を超えた存在に対して、自己防衛しようとしているだけなのです。

他の人と違う事にこそ魅力が備わるし、価値があるのです。
あなたの顔はあなた1人にしかない特徴なのです。
人と違うということにこそ価値があります。人と違う部分に、もっともっと誇りを持ちましょう!

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。