久しぶりに“クジラ”を食べて思った、思い込みや刷り込みの恐ろしさということ

こんにちは。内藤正風です

昨日は久しぶりに”クジラ”を食べました。

 

昔の“クジラ料理”はおいしくなかった

私たちくらいの世代の人は、子どもの頃に学校の給食でクジラの赤身の甘辛煮みたいなのを散々食べさせられた経験があると思います。クジラは動物の中では長命で死ぬまで生殖すると言われており、それがゆえに栄養価も高いと言われ、給食に出ていたのだと思います。

ただ当時は、なんか身はパサパサしているし、臭い消しに生姜がたんまり入っているしでホント美味しくなかった記憶しかないです。クジラが出るたびに「えぇーーーっ。。。ちっ!」って思っていました。

しかし最近のクジラはホント美味しいです。昨日は”おばけ”(尾っぽの先の部分を”尾羽毛”と書いて「オバケ」と読みます)、”赤身”(クジラの大半はこの赤身です)、そして”ベーコン”(お腹の部分のウネスで作られているものが多いです)を食べたのですが、ほんと美味しかったです。

“クジラ料理”は美味しくないという思い込みや刷り込み

人には思い込みとか刷り込みとかが必ずあると思います。
このクジラも、子供の頃のイメージで「そんな不味いもんは食べないー」って言っていたら、美味しいクジラ料理には巡り会うこともなく済んでしまいます。

1つのお料理でも、その調理の仕方や素材次第で味なんて無限に変わって来ます。
一度食べて美味しくなかったからと言って、これは不味いものって決めてしまうのもすごく偏ったものの味方になって来ます。

“こうでないといけない”という思い込み

こういう事って私たちの日常の中でも沢山あると思います。
例えば「こうでなければならない」という決めつけをされている人も多いですよね。よくあるのは“昔からこうしている”って二言目には仰る人。
確かに古来からの伝統や伝承を大切にするということは重要です。しかしだからと言って盲目に古い事をそのまま今もしないといけないというのは、極めて偏ったモノの見方になります。

時代は常に移り変わって行きます。そういう中で人々の価値観や置かれている環境も変わって行きます。なのにとにかく昔の通りにしないといけないというのは、形骸化しか産まなくなってしまいます。
そのものの本質を見極めて、核となる大切な部分を今の時代に合わせて伝承することが不可欠だと思います。

“成功体験”が邪魔をする刷り込み

思い込みや刷り込みということでいうと、成功体験が邪魔になる場合もあります。
イベントを開催して大成功を収めた時に、来られた方も主催や運営した人達も、もう一度同じことをやろうとしてしまいます。

わかるんですよ、あの喜びをもう一度体感したいという気持ちは。。。
しかし全く同じことを細部にわたって行ったとしても、あの時と同じ喜びは得ることができません。
だってなぜならば、2度目だから。初めて体験した刺激や感激は2度目以降には無いのです。

だから良いものを作り出そう!成功したイベントと同じような喜びを得ようとしたら、同じことを再現しようとしてはいけないのです。

人の基本は保守。だからこそ自ら変化を求めないといけない。

人は基本的に保守的な動物です。
だからこそこれだけの人類の歴史や発展を積み重ねることが出来ているのです。

しかしその保守は、これまでの経験に裏付けされたノウハウによって支えられているので、思い込みや刷り込みという弊害も起こってしまうのです。

こうでなければならないという思い込み、こうだったという刷り込み、そういう事からいかに自分自身を解き放つかという事が大切なのではないでしょうか。

って事で、クジラ美味しいですよーー(笑)

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。