みんなに誤解されている「基本」。「基本」をどうとらえるかで見え方が全く違ってくる

こんばんは。
いけばなの光風流家元 内藤正風です。

今日は1日、本部いけばな教室でお稽古でした。
なんとなく、今日の教室はマッタ~リと時間が過ぎてゆくのかなぁなんて思っていたのですが、普段と同様に皆さんお稽古にお越しくださったので、普通な1日でした。

そんな中で今日は「基本」って言うことについてお話をする機会が有りました。

みんなから誤解されている「基本」ってこと

「基本」って聞くと「堅苦しい」とか「窮屈」とか「難しそう」とかっていう印象を持たれる方が多いのですが、これって実は大きな間違いなんです。

「基本」って事を考えるにあたって、基本の意味を考えるのではなくチョット切り口を変えてみましょう。

まず「基本」が有るということは、そこに「変化」「応用」が存在するって事ですよね。
だって「基本」しか存在しないのならば、そのことをわざわざ「基本」と言うくくりにしたり、呼んだりする必要は無いんですから。

って事は、基本は変化応用するための礎として存在するといっても過言ではないと思うのです。

「基本」とは

では次に「基本」を他のものに置き換えて考えてみましょう。
「基本」を学ぶということを例えるならば、舞台を作っているという事だと思うのです。
沢山の「基本」を学んでいるということは、広い舞台が備わっているという事です。
10の基本を学んでいる人には、10の広さの舞台が有ると言う事です。100の基本を学んでいる人は舞台の広さが100有ると言う事です。
ということは基本をしっかりと学んでいる人ほど、その舞台は広い物になっているって言うことです。

すなわち舞台が広いということは、その広い舞台の上で自由に駆け回ったり踊ったり自由に表現する事が出来るわけですから、それを「いけばな」に置き換えると、自分の作品をつくるにあたって、自由に変化応用して楽しむ事が出来る様になるって言うことに他ならないのです。

基本をどうとらえるかで、見え方が全く違ってくる

基本を自分の行動を制約する外枠と捉えるのか、自分の行動の土台や核になるものと理解するのかで、マルッきり見えてくる答えが違ってくるのです。

基本とは全ての土台であり、核となるものなのです。
基本をしっかりと学び沢山の基本を習得すればするほど、自由になるのです。

「こうしなければならない」と言う考え方は、自らの手かせ足かせにしかならない

「こうしなければならない」と言う考え方は、自分自身で自らに手かせ足かせをつけている事に他なりません。
自分でマイルールを作るのはとても簡単な事ですし、そうするのが自分自身が一番楽に過す事が出来ます。
しかしその先に新しい発想もアイデアも挑戦も生まれる事はありません。

思い込みは自分の思考や行動を制限する事は有っても、解き放つことは絶対にありません。
自分の中にある思い込み「こうしなければならない」を無くす事こそ、「基本」の正しい理解の第一歩であると共に、「変化」「応用」を自由にできるようになる唯一無二の方法だと思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。