「年齢を重ねる」ということと「老ける」ということは、全く違う別の事だとご存じですか

こんばんは。
いけばなの光風流家元 内藤正風です。

今日は1日中いけばな教室を開催していました。

午前中はカルチャーセンターの教室。午後は光風流本部いけばな教室のお稽古。
こういう感じのスケジュールの日は、1日があっ!という間に過ぎてゆきます。

そんな中、今日は幹部の先生と「老ける」と言う事について話をしました。
老けるとは年齢を重ねるということとは違うと思っています。
年齢を重ねる事で、今まで感じなかった事が感じる事が出来るようになったり、今まで見えていなかったものが見えるようになってきたりして、中々に楽しいものなんだな~と私は感じています。

「老ける」と言う事についてこれから書く事は完全な私の主観なので、反論されてもどうしようもありませんのであしからず(笑)

内藤的「老ける」の定義

私の「老ける」の定義は、年齢ではありません。
私が、あ~この人老けたなぁ・・・と思うのは、次の2つのうちのどちらか一方でも該当した場合に「老ける」認定をしています。
その2つとはコレです。
1つ目は、物事への興味を失う。
2つ目は、柔軟性を失う。
まだ60歳代なのに「老けた」と思う方もおられます、80歳を超えていてもそんな感じがミジンもない方もおられます。

老け その1 「物事への興味を失う」

1つ目の「物事への興味を失う」と言うのは、言い換えれば ”向上心が無くなる” と言う事でもあります。
例えば「私パソコン解らないから~」って言われる方が有ります。
これって解らないのではなく、解ろうとすらしていないという事です。

解るようになろうとしていない事の何が問題かと言うと、そもそもパソコンでどんな事が出来るのかすら知らないと言う点です。ちなみにパソコンが使えるか使えないかと言う事を言っているんではないですよ。
今パソコンでどんなことが出来るようになっているのかすら知らないということは、今の時代の感覚や価値観が理解できなくなっていると言う事です。

今の時代の感覚や価値観が理解できなくなるとどうなるかと言うと、まず最初に「私パソコンわからないから」っていう言動になるます。そしてその次のステップではパソコンを使っている人を攻撃する言動や非難する言動になります。
こうなっちゃうと他の人に悪い影響や迷惑を与えるようになってしまっている事にすら気づく事が出来なくなってしまっているのです。

もうこうなると「老けた」と認定せざるをえません。

老け その2 「柔軟性を失う」

2つ目の「柔軟性を失う」というのは、言うなれば人の言うことに耳を貸さなくなる、あるいは自分の思い込みが勝ってしまうと言う事です。

人の言うことに耳を貸さなくなるとどうなるかと言うと、今の時代の感覚が解らなくなってしまうのは言うまでもありませんが、それ以上に、今いるグループやコミュニティーで浮いてしまったり孤立してしまうと言う事につながるのです。
こういう状態になると人は、自分の意にそぐわない人の事を悪く言ったり、自分にみんなの注目を集めるために変な言動を起こしたりするようになってしまいます。
自分は絶対的に正しいなんて言い始める事もあります。

もうこうなると「老けた」と認定せざるをえません。

自分の得意な土俵や自分の陣地にずっといれば楽です。
しかしそれは「老い」の第一歩に他ならず、魅力的な年を重ねることは不可能になってしまいます。
年を重ねる=老けるではありません。
光風流の先生方には、いつまでもカッコいいシャレオツなお爺ちゃんお婆ちゃんでいてもらいたいと心より思います。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。