若い人は「未熟」で高齢のかたは「成熟」しているというのは単なる思い込みです

こんにちは。
今日は朝から凄く良い匂いが充満している「本部いけばな教室」で事務をしている、光風流家元内藤正風です。

その原因はこちら↓↓↓

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中国からいけばな留学で来日している林 文暁さんに、中国の餃子を習っているんです。

餃子と言っても、日本の餃子と中国の餃子は似て非なるものなんです。
日本の餃子は皮が薄いですが、中国は皮が肉厚でモチモチしています。中の餡も違いますし、料理の方法も、日本は焼き餃子が中心ですが中国は水餃子が中心です。

事務所に居ても漂ってくる美味しそうな匂いで、このブログも一向に進みません(笑)

若い人は未熟で年配の人は成熟しているのか?

昨日マックスブログ塾の壁下陽一塾長の誕生日パーティーのなかで、友達とウダウダ言っている中で「若さ」と「短気」と「不平不満」と言う話題になりました。

どういう事かというと、
世の中のどんなところに行っても必ず、何かと言うとふたこと目には自分の事は棚に上げて、人の悪いところを指摘する人がいます。
何かあるとすぐに怒る人がいます。
自分の思い通りにならないとイライラする人がいます。
周りの人と調和を持つことが出来ない人がいます。
私ばかりこんなにさせられている(こんなにしている)っていつも思っている人がいます。

これってなぜだろう。。。。。
という事についてです。

よく若い時は気が短かったけれども、年がいって気が長くなったという言葉を耳にします。
若い時は不平不満を言ったり、人の指摘をよくしていたが、年がいって寛容になったという言葉も耳にします。

これって若いからダメで、年がいったら人間的に成長したっていう事でしょうか?

いいえ違います!!

ここをよく勘違いされがちですが、これは年齢の問題ではなく、その人の経験に基づく学びから育まれた度量の問題だと思います。

経験の差が人格や人徳の差

短気、すなわちすぐに怒るというのは、その人の想定の範囲や許容範囲を超えたからキレる、すなわち怒るという行動になっているのです。
すなわち、経験が豊富で、あらゆる場面を想定できているならば、キレる必要はないわけですよね。
あ~やっぱりそうなったか。。。
とか
そうなるんだったら、この方法を講じていこう!
という思考になりますよね。

他人の足りないところを、ことさらに取り立てて言う人というのは、そうする事で自分の優位性を周りに知らせようとしているのです。
自分の方が明らかに経験も知識も豊かであれば、そんなことしようとも思わないですよね。

幼稚園の子供がアホなことしていたら、それをことさらに取り立てて大人は言わないですよね。
またアホなことしている~。
とか
私も子どもの頃にはこんなことしていたなぁ。。。
って思うだけですよね。
幼稚園の子供に「あほ~」って言われても腹も立たないですが、自分に近い年齢や経験の人に「あほ~」って言われたら、「なに!!」ってなりますよね。

私の周りの皆さんを見ていると、はっきりとした特徴があります。
それは年齢に関係なく、それぞれの世界で第一線で頑張っている人は、人間的に豊かであり、明るく、度量が有り、勉強熱心で、しっかりと自分の価値判断のもとになる物差しを持っておられます。

私より若いみなさんにもこういう方が沢山おられます。
こういう皆さんとは、一緒に時間を過ごしていて、刺激になりますし、勉強になりますし、私自身の成長の活力となります。

反対に私より経験豊かであるはずの先輩の方々の中に、残念な人も沢山おられます。
一緒に時間を過ごしていて、何故にそんなに自己的で利己主義で、我儘なのか、不思議でなりません。

なのでハッキリと私は断言する事が出来ます。
若いから未熟で、高齢だから成熟しているというのは単なる思い込みです。

年齢に関係なく素晴らしい人は人の話を聞こうとし、学ぼうとし、新しいことに興味を持つ

素晴らしい人と言うのは、年齢の若い高齢に関係なく、その素養を持っています。
自分自身を高めようと思うならば、そういう方達と同じ世界に居る事が出来るように自己研鑽するべきですし、自らの狭い世界から外に出て、そういう皆さんと共通の話題を持ったり共通の経験をする事で、自らを成長させる必要があります。

もちろん私自身も常にこうありたいと思いますし、ただのオッサンには成り下がりたくないと思っています。
(大笑)

あなたは、若いというだけで相手を見下していませんか?
あなたは、新しい世界の方と交流しようとしていますか?
あなたは、周りの色々な人と一緒に、心から笑う事が出来ていますか?

そんな事を改めて感じ考える機会になった、昨日のマックスブログ塾壁下陽一塾長の誕生日パーティーでした。

内藤正風PROFILE

内藤 正風
内藤 正風
平成5年(1993年)、光風流二世家元を継承。
お花を生けるという事は、幸せを生み出すという事。あなたの生活に幸せな物語を生み出すお手伝いをする、これが「いけばな」です。
光風流の伝承を大切にしながら日々移り変わる環境や価値観に合わせ、生活の中のチョットした空間に手軽に飾る事が出来る「小品花」や、「いけばな」を誰でもが気軽に楽しむ事が出来る機会として、最近ではFacebookにおいて「トイレのお花仲間」というアルバムを立ち上げ、情報発信をしています。ここには未経験の皆さんを中心に多くの方が参加され、それぞれ思い思いに一輪一枝を挿し気軽にお花を楽しまれて大きな盛り上がりをみせており、多くの方から注目を浴びています。
いけばな指導や展覧会の開催だけにとどまらず、結婚式やパーティー会場のお花、コンサートなどの舞台装飾、他分野とのコラボレーション、外国の方へのいけばなの普及、講演など、多方面にわたり活動し多くの人に喜ばれています。

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